谷中 伸哉ってこんな人
谷中伸哉と申します。
主な業務はお客さんの窓口と設計打合せ、現場監督、アフター対応家づくりに
関わる全般をお手伝いしてます。
ひいじいちゃんからの大工の家系に生まれ、
工務店としては父が創業して2代目となります。
昔は棟梁ひとりで間取りを考え、現場で腕をふるっていたのですが、今は分業。
私が事務方として間取りなどを考え弟が大工をしております。
和歌山県田辺市での古くからの大工ですので、ひいじいちゃんとおじいちゃんが新築した住まいを
父がリフォームし、さらに私もリフォームをするなんて経験もさせて頂きました。
住まい手がお家を受け継がれるたびにお声を掛けて頂けるなんて、つくり手として本当に有難い事です。
私ってこんな人
一級建築士
一級建築施工管理技士
二級ファイナンシャルプランナー
二級福祉住環境コーディネーター
宅地建物取引士2019年10月失効予定
家、建築が好きです。
物事の基本、王道を知りたい押さえたいと思う性格
それは仕事も趣味にも通ずるものがあります。
建築の仕事においてもまず、基本、例えば資格を取ってから
自分なりの世界へと考えました。
社会人になってから、住宅業界一筋ですが、職種が様々だったため、
資格が増えてしまって一見資格マニアみたいになってしまったのは
ちょっと残念ですが、せっかくとったので公にしておきますww
設計において、建築家伊礼智さんが学校長を務められる、設計教室に
三年間通ったことや、断熱において新住協に参加したのも、
それぞれの基本、王道と自分が感じたものをしっかりと
学びたいと思ったからです。
それらが、いま、私の基本となり少しづつ派生していき、
私たちなりの、私たちの地域にあう住宅を探求へと続いています。
和歌山県田辺市出身。前述の如く、工務店を営む家に長男として誕生。
家はひいじいちゃんからの大工の家系。
あまりにも身近にあったため、その魅力を気づくのが遅く、
文系の大学でのの就職活動中にやっと気づき、社会人からこの世界に。
少し回り道。
家族。奥さんと三人の子供の五人家族。子供は女、女、男。
三学年ずつ違います。
好きなもの。
建築。木造建築。その中でも住宅が特に好きです。仕事と趣味の境界が・・・
椅子。とくにアンティークといわれるものが好き。時代を経ても変わらない普遍的な美しさに惹かれます。
本。建築系から小説。サブカル(ガンダム)まで幅広くw
山。年に一度。夏山に登るのを楽しみに。年一回なので、なかなか上達せず。主に北アルプスに行ってます。
サッカー。バスケ部だけど、サッカーが好き。最近はちょっと遠ざかり気味。
性格
フランクと言われますし、自覚もあります。
石橋を叩いて渡る。意外と堅実です
苦手
スジが通ってないこと。スジが通ってない人。
好きな言葉
温故知新
人生生きてりゃ、まるもうけ
営業マン時代
今はなき、某準大手ハウスメーカーに就職。仕事は展示場の営業マン。
消費者保護法施工前の住宅業界、夜討ち朝駆けの泥臭い営業を叩き込まれ実践する毎日。
飛び込み営業や電話営業、慣れれば意外と出来るものと思う日もあれば落ち込む日もあり
社会人の洗礼を浴びまくる毎日でした。会社に泊まったりすることもあって、若くて体力があったな私・・・
住宅展示場の営業に競合はつきもの。また、他の超大手ハウスメーカーに名前が劣ることもあり四苦八苦。
そんななかでも、私を気に入って下さって受注を頂ける方もおられ、忙しく過ごす毎日でした。
ただ、私の当時の仕事は営業マン。契約を頂くと私の仕事は終わっていまい。
設計や工事の方にバトンタッチしていきます。
大きな会社ではそうやって組織的に動く事が効率的です。そうとはわかっていても、
せっかく気に入って頂けた住まい手のかたと完成、そしてアフターまで一貫してかかわれない事への
ジレンマが募ります。住まい手と一緒に家づくりをしていきたい。気持ちは大きくなっていきます。
3年超の激務のあと、お世話になったハウスメーカーを退社しました。
「旅は時間とお金と健康がないと行かれへんよ」
営業マン時代の住まい手がおっしゃっておられた言葉が、胸に残ってた私は一大決心で、
バックパッカーで1か月ヨーロッパ旅行。
激務でお金を使うタイミングを失っていたのが、功を奏しました。
その土地土地での暮らしにふれ、暮らしっ脈々とつづく文化だなぁとしみじみ。
大工見習い時代
帰国した後は田辺市にもどり父親が営む工務店に、そこでの仕事は現場、大工さんの見習です。
現場でみっちり大工仕事、木造住宅を叩き込まれました。営業マンだった私からは目からうろこの毎日、
大工さんの図面から3次元をイメージする能力やそれを実際につくる技術にしびれます。
様々な職人さんの自分の仕事に誇りをもち、真摯に打ち込む姿にも感銘を受けました。
こうしたたくさんの人の思いや働きがのっかり、住まいは出来ていくのだなと
そんな中に交られてもらって、作業に没頭する日々を過ごします。
設計士へ
30才を超えると友人から住宅の相談を受ける事が多くなってきました。
それらを契機に設計の方に軸足が移ります。
友達の期待にこたえたいこの一心で、今度は設計に没頭していきます。
独学でしたが、そこで今度は設計の世界の奥深さを触れます。
お寺や神社だけでなく、住宅にも脈々と続く歴史があることを知るのです。
建築家伊礼智さんを知ったのもそのころ。その著書を読み漁ります。
住まい手、大工さん、職人さん、色んな方のご協力を頂きながら
ひとつ、ひとつ、家が暮らしが形づいていきます。
その瞬間、私の少々の!?苦労なんかは、吹き飛ぶのです。
住まい手と一緒の家づくり、営業マン時代にあこがれたものでした。
40代になり、1級建築士も取得して自分の好きな事を学びたいという思いが強くなりました。
(一級建築士の試験には、木造の分野はほとんどなく、関係のない鉄骨や鉄筋コンクリート、
設計の課題も住宅ではなく、中規模建築物だったので、うっぷんがたまってましたww)
住宅設計も独学でやってきたけど、この方向性でいいのかな?と頭をよぎったり
そしてなにより住宅を学びたい、設計がうまくなりたいとの一心で、
前述の伊礼智さんが学校長を務められる設計教室住宅デザイン学校設計教室の門をたたきます。
居場所の大切さ、生活動線。暮らしに見据えた設計。や、空間を佇まいをよくする感が手方に
触れる事ができました。実際の建物もたくさん見せて頂き、百聞は一見に如かずです。
設計教室では運よく賞を頂くこともでき、自分の方向性も再確認でき、
さらに、この道、住宅設計を探求したいとの欲求がふつふつとわき続けてます。
代表に
さらに、そのころ、自分の信じる道を自分の力で思いっきりやればいい
との、父の言葉もあって、だい替わり、代表に。
父のお陰で第一歩を踏み出すことが出来ました。
高断熱高気密の新住協に出会ったのもこのころ、この分野での独学の限界を感じていた時
設計も施工も現場で実践できる、知識や知恵を得る事が出来、基本を知り実践することが出来ました。
住宅デザイン学校や新住協で出会った全国に散らばる仲間と知り合う事ができました。
そのつながりは大切な恵まれてます。
私の思い
木造建築物には長い歴史があり、それには良い面、悪い面もありります。
温故知新。普遍。王道。新しい価値観。実践。その普遍の延長線上。木造住宅は日進月歩。
常に変わり続けています。
そしてその中には変わるもの。変えてはいけないもの。
理にかなっているもの。かなっていないもの。があります。
自分が身に着け。身に続けている基本をもとにしっかりと吟味して、
住まい手にその時、その時の最適解、ベストをご提案し続けていきたいです。
建築は脈々とうけつがれているものでもあります。
暮らしを大切にしている住まい手に家づくりを楽しんでいきたいです。